「自己評価」と「他己評価」
前回の記事は以下を参照下さい。
「営業は向いてない?!」引きこもり学生の新卒就職活動(企業エントリー・1次面接編)君は営業向きだね!営業受ければ普通に受かるよ!
何故ですか?(その営業が嫌だから60社以上も落ち続けて挫折してるんだよ・・・)
君はハキハキ喋るし、声が大きいから営業向きだよ!!
大学の就職支援課へ訪問した際、上記のような会話になりました。
ファーストインプレッションから、えむゆ~と就職支援課との「えむゆ~像」に乖離があることがわかります。
つまり「自己評価」と「他己評価」にギャップが生まれているということです。
就職活動キーワードで頻出する「自己評価」と「他己評価」
言葉の通りにはなりますが、「自己評価」とは自分で自分自身を判断・評価するもの。
「他己評価」とは他人が自分の能力等を判断・評価するもの、と捉えて差し支えないと思います。
私は自分のことを「プライドが高く、人見知りで、営業なんてとても務まらないよ」と思っていますが、
周囲からは「声が大きいから営業が向いてそう」と思われている。
仲の良い友人からも同様に「営業マンっぽい」と思われていたことが明らかになり、
自分が思う自分像と、他人から見る自分像には大きくギャップがあり、
自己評価を軸に就職活動をしたら、成功しないんじゃないか?!
と思った私は、観念して業種を問わず、営業職にエントリーすることになります。
就活本の多くに自己分析があります。
その中に「自分が思う自分と、他人が思う自分を記載し合う」ようなページがあるのですが、
えむゆ~は自己愛が強かったので、自分が客観的にどう見られているのか、が記載されて埋まっていくのが気持ちよくて、色んな人に埋めてもらいました。(今も残っているかなぁ)
結局そこに答えはかいてあったのですが、
そもそもの入り口が「営業をやりたくない」だったので、自分の中に落とし込むのに時間がかかったんですね。
まったく何のために書いてもらったんだか・・・
自己評価と他己評価の在り方
社会人になってからも、「自己評価」と「他己評価」のどちらを心の軸に置くか、
そのバランスはとても難しいです。
私としては、他己評価を優先すると
サラリーマンとして評価を得やすく、生きるのが楽になる感覚があります。
なんとなく誰かに必要とされている感覚を得れますし、もし失敗しても、他人からよく思われようとして取った行動だから、本質的に自分が取った行動ではない、と言い訳ができるからです。
端的に言うと「シミュレーションゲームで自分を操作している感覚」に近いです。
一方で、他人に評価されることを軸に置くため、やりすぎると自分自身が何者なのか分からなくなることもあります。
「この仕事って私じゃなくても良いよね」
「私はこんなことをする為に仕事をしているの?」といった感覚です。
結局は自分という人間を操作する形になるので、ハマった時はゲームを攻略したような快感を得れますし、ハマらないときは「なんでこんなこと・・・」と思うしと、表裏一体の攻防戦ではありますよね。
私もこの年齢になって、やっと「自己評価」と「他己評価」に対する折り合いが付いてきました。
実力があれば、自己評価優先で良い!
「人生1度しか無い、私は私の為に生きているんだ」
そんなことを考えると、やはり本質的には利己的であるべきだと思うからです。
残念ながら就活生時代のえむゆ~少年は、就活を行っていた時点で、実績が無く、プライドしかなかったので、結果的に他己評価優先の選択肢は間違っていなかったのかな、と思っています。
ここに関しては生き方の問題もあるので、是非1度考えてみてほしいです。
次回は、営業職を受けることを決意し、動き出す流れを投稿します
次回は、営業職を受け始めてからの就職活動と、自分自身のマインドの変化を投稿します!
長文にお付き合い頂き、有難う御座いました。